カテゴリー「子育ての心理学」の7件の投稿

解決してあげるのではなく、見守ること

いよいよ、知花のイヤイヤが始まったような気がします。

自分のやりたいことが色々分かってきて、
でも、自分ではほとんどまだできないわけです。

親に頼ろうともしますが、
これだって、100%叶えてあげられるわけではないし、
叶えてあげてはいけない(成長できなくなるので)わけです。

なかなか、大変な段階にさしかかったな、
と、思います。

これは、誰でも通らなければ行けない試練みたいなもの。

泣かれるのが嫌だからといって、
泣かないようになんでもいうことを聞いてあげてしまっては
せっかく自我が芽生えて、成長しようとしているときに、
成長の芽を摘んでしまうことになりますし、

逆に、何にもしてあげなければ、
私はここにいてはいけないんだ、と、自己否定する子になっ
てしまうかもしれません。

このあたりの舵取りは大切なところではありますが、

まあ、

神経質になって、私の方が暗い顔をしていては本末転倒。

楽しむときは楽しむ、
「ダメ」と言うときは言う。

そんな風にして、気負わずやっていこうと思います。

大変な段階を乗りこえようとして頑張っている知花に、
心の中でしっかりエールを送りながら。


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子は親の鑑と言うけれど・・・

子どもを育てていて、腹の立つことがある、とよく聞きます。

「も~」と叱ると、子どもも「も~」という言葉を覚える。
叩いたりしたら、その子も人を叩くことを覚える。
「○○しなさい」という言い方をしたら、子どもも同じ口調になる。

自分が上、子どもが下という意識を持っていると、ついつい上から目線で子どもを叱ったりしてしまうもの。すると、子どもも「上から目線の言葉」を覚えてしまう。

そんなことがあるのだろうな、と思ってある程度は覚悟しているのですが、今のところそういう兆候はありません。ありがたいこと、なのかな・・・ 「も~」ぐらいは言いますけどね。

ところで今日、「これは参った」と思う出来事がありました。

私が、野菜スティックを作って、ごまだれをつけて食べていたんですね。で、ごまだれをテーブルの上に垂らしてしまいました。まあ、食べ終わったときに拭けばいいやと思っていたら、知花(1歳半)がタオルを持ってきて、拭いてくれました。

しばらく前から、ご飯を食べ終わったあとに食器を流しまで持っていってくれたり(これは役に立っている)とか、布巾でテーブル(うちは座卓)を拭こうとしてくれたり(こっちはまだ役には立っていない)とか、色々してくれていたので、感心はしていたのですが、

今日、私がこぼしたごまだれを拭かれたときは、ちょっと「やられた~」と思いました。

うちは、私も率先して食事の後片付け(食器を運んで食卓を拭くぐらいですが)をしているので、知花にとっては、後片付けは家族みんなでやる楽しいイベントぐらいに思っているのでしょう。
こういういい習慣は、真似してくれるとすごく嬉しいものです。

但し、もう迂闊にタレをこぼせません。

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自分と他人の区別

知花を見ていると、心の発達で言われる、反抗期前の子どもは自分と他人の区別がつかないという説が、非常によく分かります。

一歳になるぐらいまでは、「こわいよこわいよ~」と怖い声を出すと、それだけで怖がってました(危ないことをしそうなときに、よくこの手を使ってました)。他人の感情と自分の感情の区別がつかなかったのだと思います。

母親と自分が完全に一体な感じを持っていた時期は過ぎて、今は、少しずつ自分のやりたいこと、自分の意思が芽生えてきたようには見えます。

それでも、自分と他人を区別するのがまだ難しいんだなと感じる場面があります。

人に何かを渡すとき、「どうぞ」って言うということを教えたので、
「どーじょ」と言えるようになりましたが、
何かをもらいたいときも「どーじょ」と言います(笑)

大人なら、「ちょうだい」→「どうも」「ありがとう」と言うところですが。


半年前ぐらいまでは、泣くのは、お腹空いた、痛い、寒い、熱い、眠い、みたいなときがほとんどでしたが、今は、やりたいことができなかったり(見たいテレビが見られなかったなど)、取りたいものが取れなかったり、大人が食べているものを食べさせてもらえなかったり、私と妻がくっついていて、自分だけ仲間はずれにされたようなときに主に泣くようになりました。

そういう面では、随分成長し、感覚が赤ん坊から子どもになってきた気がします。

今日は、座卓の下に私がお土産で買って帰った東京ばななの黒ベエを(いたずらしにくいように)置いておいたら、座卓に潜って果敢に取りに行きました。で、出られなくなって、頭を打ったりして泣きましたが・・・でも結局黒ベエは離さず、持って出てきました。根性あるな、なかなか。

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痛みを感じられる人こそ、叱り上手の素質がある

子育てとは直接関係ないところで、学びがあったので書きます。

「怒る」のは、自分の感情を相手にぶつけることで、
「叱る」のは、子どものためにすること。冷静にすること。

昔そう聞いて、なんとなく、「そうなのかな」と思って生きてきましたが、やはりそれは「違う」という結論に達しました。

感情を込めて叱る方が、心に響くこともあるからです。

相手の痛みが分かり、罪悪感を感じやすいタイプの人は、叱ろうとすると自分の胸が痛みます。叱られたら相手が嫌な思いをすることが分かっているから、自分の胸が痛むのです。

それでも、その痛みをしっかり感じながら、あえて相手の成長のために厳しいことを言えるのが、本当の愛情だと思います。

自分の都合で怒っているなら、本当に心に響く叱り方にはなりません。

相手のことを考えて叱っていたとしても、自分の心にフタをして、頭で考えて叱るうちは、叱られた方は「本気で叱ってくれてありがとう」とは思わないでしょう。

でも、

相手の痛みを自分の痛みのように感じる力がある人が、人を叱る痛みに耐えながら、それでも相手のために、あえて叱るという選択をするとき、叱られた方にも、本気が伝わるのではないでしょうか。

相手の痛みを分かり、受け止めることができる愛情深い人だからこそ、叱るときも相手の心に響くのだと思います。

これは、私自身が、心を込めて苦言を呈してもらったときに、感じたことです。心からありがたいと思い、涙が出ました。

話が子育てから離れてしまいましたが、子供に対するときも同じだと思いました。
まだうちは、簡単なしつけレベルのことしかしていませんが、きっと本気でぶつかり合うときが来ると思います。そのときに、心を込めて叱れる自分でありたいと思っています。

今日は北海道で仕入れてきたカニを食べました。
久しぶりに、がっつりカニを食べて、満足でした。
知花は、カニ、そんなに好きじゃないみたいだな~。
まあ、大人になってからの楽しみに取っておきなさい。

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嫉妬の感情があるのかな?

知花は、私と妻がぴったりくっついていると、まず間違いなく近づいてきます。

それまでひとり遊びしていても、近づいてきます。そして、ふたりの間に割って入ろうとするんです。

単純に、お父さんとお母さん、ふたりとも好きだから真ん中に入ろうとしているだけなのかもしれませんが、仲良さそうにしているときに限って、本気で入ってくるので、これは多分、嫉妬しているのでしょう。

この段階はとても大事な段階で、頭ごなしに拒絶してもいけないし、逆に、これをきっかけに夫婦の距離が離れてしまうのも、あとあと問題なのです。

恋愛相談を受けていて、まず最初に気になるのが両親の仲が良かったかどうかです。恋愛や結婚生活で悩む方の多くは、両親が親密さを失っている家庭で育っているのです。

かといって、子どもが入り込む余地のないぐらい両親が親密だと、(仲が悪いよりはよほどマシですが)子どもは自分が負け犬になってしまうという心理パターンを身につけてしまうことがあります。

親子関係は、私たちが人生で最初に経験する三角関係なのですから。

とりあえず、夫婦の距離を一番大切にしつつ、知花も適当に仲間に入れておくことにします。

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完璧な親を目指さない

知花の子育てをするに当たって、私がひとつ決めていることがあります。

それは、完璧な親を目指さないということです。

まあ、完璧な親という考え方自体が、何か、刷り込まれた価値観に沿った枠組みに自分をはめ込むようなものですから、よく考えれば考えるほど、何を持って完璧と呼ぶのか、分からなくなるはずなのですが。

完璧な親でないということは、どういう親であるのか。

それは、ありのままの、ひとりの人間として存在するということ。

基本的に、愛情を持っている。
子どものことは大切。
妻のことも大切。
そしてもちろん、自分のことも、大切。

でも、嫌なことをされたら怒るし、言いたいことははっきり言う。

親として子供に対して理屈をつけて分からせようとか、そんなことをする前に、人間対人間として、それをされたら嫌だということを表現すること。それを大事にしています。

子育てをするようになってからの方が、子どもっぽいリアクションをすることが増えた気がします。

まだ、言葉で言っても分からないので、こちらが感情で表現するしかないから、というのもあるけれど。

ひとりの人間として、笑うこともあるよ。怒ることもあるよ。そういう姿を見せていきたい。

理想の親になるより、
ありのままの人間の姿を見せたい。

そう思って、毎日接しています。

私が怒ったら、知花はしゅんとしていた。
でも、嫌いになったわけじゃない。それは伝わっていると思います。

人は、人が好きなんだ。
でも、怒ることもある。
それを知ってほしいと思うから。

なぜ、これを書いているかというと、私がカウンセリングをしていると時々出会うパターンで、「親がすごく愛情深くて完璧な人なので、同じようにならなければならないと思ってしまって、心が苦しくなってしまった」という人がいるから。

きっと、その人の親御さんは、すごくできる人なんだと思います。
でも、同じようになろうとして、そうなれずに苦労してしまう子供もいます。
親がすごく愛情深くて、利他の心をたくさん持っている人の場合、子どもがそれに匹敵する能力を持っていない場合、自己犠牲するようになります。辛いのに「他人のために尽くさなければいけない」という考えになってしまいます。

だから、今日も私は、子どもと同じ目線で怒るのです。こら~っ!
ははは。

いつか「お父さんって、気楽に生きていていいよね」って言わせてみたい。
生活がちゃんと成り立っていて、子どもにそう言わせたら、これは勝利宣言だな。

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本当の愛情とは、利他の心を育てること

先日、脳科学者の茂木健一郎さんの講演の音声を聴く機会がありました。

その中で、茂木氏は、人間の行動は、脳の中で快楽ホルモンが出るとその行動が強化されるように変化してゆく、という主旨の内容を話されていました。

そして、ご飯を食べるとお腹がいっぱいになるみたいな、生命の維持に必要なものに快楽ホルモンが出るのは本能的なものなので、ある意味当然だけれど、

他人の役に立って、それを心地よいと感じるのは、学習によるものであって、生まれたときから持っているものではない。こういう部分が非常に人間の面白いところだ、というお話をされていました。

これを聴いて、面白いなと思いました。

考えてみれば、子育てで大事なことのひとつは、他人の役に立ったり、他人が幸せを感じることを自分の幸せと感じられる心を育ててあげることではないかと思います。

自然に他人の幸せを願う行動ができる心を持っていたら、その後の人生は人に感謝され、大切にされるものになってゆく可能性が高いですから。

そして、あくまで自発的な動機で、他人の幸せを願える心を持つようにするのが大事だと思いました。

「他人の気持ちを考えなさい!」と叱って、他人の気持ちを考えるようになった子の根本的な動機は、「親に怒られたくない」という「怖れ」の感情であり、喜びから人の役に立とうと思うわけではないのです。

「○○ちゃん、お手伝いしてくれてありがとう♪」と感謝されて、他人の気持ちを考えるようになった子の動機は逆に、「(親を)喜ばせたい」という「愛」であり、これは人の役に立つのが自分の喜びになっているのです。

もちろん、自分の気持ちを大切にすることも大事ですが、それに加えて、こうした、他人の喜びを自分の喜びと感じられる心を持てることは、幸せな人生を歩むための土台になるのではないかと思いました。

だからこそ、叱って育てるのではなく、ほめて育てることが大事なのだな、と改めて思いました。

幸恵(妻)が、結構大げさに「ありがとう~」「すごいね~」ってやっているのをみると、とてもほほえましく感じます。そして、いい教育をしているな、と安心もします。

自分の好きなことをするのも楽しい。

他人に喜ばれることをするのも楽しい。

こういう心を持って生きられるように育ってほしいですね。

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